昭和40年9月7日 夜の御理解  (後半、録音不良の為、? 多い)


 まじめな、忠実な信心をさせて頂いて、頂いたおかげでないと、本当のおかげがおかげをまた生んでいくというおかげにはなってこない。まじめに、忠実に、おかげをおかげとしていくところの信心であらなければならない。先日からこのお手洗い鉢が出来る、それで、親教会のあの納骨堂を立てました、あちらの総代さんのお世話でご迷惑をかけることになってから、見積もってもらった。私共分かりませんから親教会のお声掛かりでもあるし、まあ、そこに頼ませて頂こうと思うておった。それが、高島さんから田主丸にもこげんして、よか石屋がおりますというわけで、そこにもお願いした。ところがその、同じ材料で、その同じ形に作ってもらうのに、大分値段が違う。これは一件一件あたってみなければいかんというて、それから、久留米のほうを一件一件あたらせてもらいました。で、最後に参りましたのが、一番設備も立派であるし、のれんも、古い歴史をもった石屋さんでした。それでもう、別においでとも言われませんけれども、見積もられましたけれども、もう、本当にあの簡単に見積りしてくださってから、えー、その見積もりを見たところが、なんと15万も開きがあった。たった、3、40万のものに。もう私は驚いてしまった。なるほど、片一方のほうはもう来るたんびにその、果物をもってみえられたり、入ったらもうご飯の用意してから、ビールだしてから、そしてもうほんに気の毒なごたる、断るのに気の毒かごたるけれども、さあ、15万もちごうてからというものは、それだけの事をお断りしてからでも、頼まれんという事になる。

 例えばなら、頼んだと致しましてもです、なら、私共が久留米にいっとらんであそこに頼むことをいたしましてもです、ね、後になって分かってくる。昨日私は親教会に参りましたから、えー、そのことを申しました。「あーそげん15万も違うならそれ、もう、久留米のほうにしたほうがよかばい。もううちのこん石碑もそこに(?)」ちいうてから、何年前の事がです、そげな(?)頼んでからと言う事になってきたのです。いかに、まじめで忠実でなからなければいかんかというのが分かるでしょうが。ね、もう片一方はです、もうこれは私が誰にでも話す事でしょう。私だけではない、いった4、5人の人が誰でも話すでしょう。「違うもんじゃあるもんのやっぱ頼んだら信用を与えなければならんばい」と。と言う事になって、これはまた、無言の中にです、とにかく、どのくらい(?)勉強したというこっちゃない。そして向こうでいうておられるのが、「これは(?)で見積もっておりますから、いよいよの時はまたいくらかお引きします」とこげん言われた。

 (?)これだけなごうなれば一割増す、これだけなごうなれば二割増すちいうごだる。、それに運賃がかかってから、あーた4千(?)運ぶとが大ごとかと片一方はいわれなさる。片一方はああそのくらいか、そのくらいなら軽かけんけ、もう出来上がってしもうてからよかですばいち。(?)そしてなら、いうならば、手取り足取りするように、やっぱ神様にもですよ本当に手取り足取りするような信心をさせて頂いただけでおかげ頂いたっちゃつまらんと言う事。それでも、あの氏子は間違いないと、ね、あの氏子が言う事ならば、例えばちった無理してからでも、聞いてやらなんというようなです、私はまじめな信心をしとかねばいかん。お互いが。それはおかげ頂くこつはあります。昨日も私共あちらに参ります、久保山先生、それから(?)さん、秋永先生、そして勝彦と参りました。でましたら親先生が次々とそのおかげ話をして下さるんですよ。ね、丁度今、久留米から内田さんていう婦人総代さん、櫛原の、それが今度普請があるから櫛原の教会を貸してくれというて善導寺の親先生のところに、その責任者でありますから、相談に見えたと。それはもう、私が一番よう知っておるが、そのお初穂整理を私がしよるけん知っとるがもうとにかく女で毎日、その、なんちいう?玉突き屋さん、七百円づつもそのお供えが出てくる。そしてその中からまた何百円かちいうてからその、今度は地鎮祭の後にこうやって積み立てをしよんなさる。もう教会の御用ちいうたらどんどんされてから、そして「うちが普請、出来るごたるおかげ頂かな、次にはどこの信者が、今(?)先生がみえておる。があそこのあっちの装束が出来るげな、どこの信者さんがこがしこおかげを頂いてから、またこの信者さんがこげなおかげを頂いてから」と言うてから、まあ、お話を聴かせて頂いてからですたい。本当に有難いなあ、私共も何十年前はもう本当にそげなこつでおかげ頂けるもんと思うて本当に私共おかげ頂いてきたんです。そげんしてから。もう、本当に仲間がそれこそ借金してからそげんしてきた私。ね。成程おかげは頂きましたばってんそれでは、おかげを落としたでしょうが私。完全に。そして自分はいわゆる、食べるものも、着るものものなかごたる状態になってしもうたんですから。いわばさっきの(?)さんと同じ事、(野菜もってみえられたんですけれども(笑)。石屋さんですたいんね、あーた、ビールとお酒とご飯をだしてから、あーた、こっちお断りしておる。(笑)ね、でそげんでしょう、はよう分かったもんじゃけん。 ?  )

 みよってんなさい、あげなふうにおかげ頂きよって必ずまた(?)さんになるですよ。今日はですねいちいち神様がですね、それが本当に真心でいけばですね、おかげ頂くんですけれども、これは私自身が一番、あれも自分がおかげ頂いた、これも自分がおかげ頂いたという事になってくるとですたい、ね、それが御きかんにかなわんからおかげを落とすですたい。ね。結局ここのそれも、久留米のほうへその、お手紙をすることになるでしょうけれどもですね、(?)なら百万も二百万もするならまあ言いはしなだったですけれどもね、たった3、40万のものから15万ちいいなさるもんどげん思うたっちゃ頼まれん。ね、お互いの信心もです、例えば本当に神様に(?)ごたる信心をして、だけ、おかげを頂いたんじゃでけん。確かにおかげは受けるです。皆さんがどんどんお供えでもなさりゃですね、そりゃおかげを受けるですもん間違いなし。だって、そのおかげでは続かんです。その片一方には本当は信心を積み重ねてそれがなされていくものでなからなければ。ね。これは私が一番よか手本です。だから、親先生がそげなんお話をして下さいましたけれども、まあ、申しはしませんでしたけれどもね、「そげなことしよなさっと、必ずおかげ頂きます、落としますばいち」いおうごとあった。それで丁度大工さんの話がでましたから、あの堺さんの話がでましたからね、堺さんはどげな風じゃろうかと私聞きましたら、「はー探さないかん探さないいかん」といいなさるもん。もうそれこそ今までは(堺?)さんでなからねばいかんごといいよりましたよ。どんどんどんどん御用を頂いてから、もうとにかくいいよなさりましたから。ね、もう久留米、あの人が一番の信者のごといいよったです。ところが、教会の先生達からでん、いうならばもうあれはいかんもう、お供えが出来んごとなったら、そげな風ですよ。ね、もちろん、(堺?)さんがおかげを落としておる証拠ですよ。

 ね、これだけじゃいかん、今内田さんがどんどんその、日にいわば千円づつお供えしよる、それでやっぱおかげ頂いてから(?)さんの、またうちの、うちの普請が出来るごとおかげを頂きよるばってん、これじゃ必ずおかげを落とす。ね。どうでも一つ、本当にまっすぐな信心をさせてもらわねばいけません。ね。それにはその、どういうような信心をさせて頂いたらよいかと、例えて言うならですね、おかげを受けた時には本当にあなたのおかげでと言え、思えれる信心を頂かなきゃいけません。「はあー私がお供えしたもんじゃけん、はあーもう私が毎日お供えしたものじゃけん」。そげな人に限っておかげを落とすですたいね。自分の信心はないことは棚にあげてから、神様の力はなかちいうごとなったり、先生が、あーそのこの頃おかげを落としてござるけん、私共がおかげを受けられるごとなったち。必ず言うです。ね。おかげを受けたのは私が信心が出来たから、おかげを渡せん受けれんのは先生のお徳が悪かけんでと言う事になってくる。間違いなかです。ねですから本当におかげを受けた時には「先生あなたのおかげで」と言う事に思い込ませて頂く信心。ね、そしてです自分にお気づけを頂いた時にはです、「神様すみません、本当に私の信心が至りませんでしたから」とこう思い込めれる信心です。これならどがしこおかげを頂いたっちゃおかげ頂く。間違いないです。ね、そういう信心をんなら、それを私が今日いうき、そげんいっちょ今日から思おうと言って思えるもんじゃないです。心から本当に神様を身近に頂きよらなきゃそれは言えんです。神様を身近に、神様がこれだけの働きを下さる神様がです、こういうお気付を下さるのだから、これは私の間違いに違いはないと思い込めれる信心。おかげを受けたのは私が出来たからではない。本当に親先生のお取次のおかげで、神様のおかげでおかげが頂けたとこう思い込めれる信心です。だから、それを思い込むために、私間違いない信心しなければ、神様を身近に頂くことも出来んということ。ね。

 夕べの御理解を頂きなさった方は、お聞きになったでしょうけれども、昨日熊本からんー、ひろこさん、ここの、いわゆる神様からお知らせを頂く、(?)神様が椛目の出社とおっしゃるそうです。だからあちらからもう、今のところでは、まだあーた18ぐらいの娘さんですからね、あー、親御さん達の信心がしっかり出来ますが、それでそこ、皆椛目に集まる者だけじゃない、近所の物まで集まってお話頂きよるごとなっとる。大祭と御霊のお祭りをせなならんと(?)いうて、御霊のお祭りをつかえれと、だから、昨日大勢で出てきたんです。それでここでは(?)の御霊様、あー、(?)御霊様の霊祭をしたというてお届けがあったんです。

★ そのことを私は夕べあのお届けさせて頂きよりましたら、御心眼に頂くのが30名あたりの御霊様があの、お礼を言いに見えたという感じの御心眼を頂きましたから、あの、昨日聞かれた通りですたいね。あのー、天地書附を奉唱させてもろうて、御霊様でもこれからいよいよ一段と信心を進められておかげを頂かれる為には、おかげは和賀心にあるのですから(?)御霊様の心事体が和まなければいけんというような御理解だったんですね。


★ (?)からあの、(?)にあたります村上さんというのが、今日お礼にみえておられます。「夕べはこんなんでしたもんね、ひろこさんがお夢に見えられて親先生にそのことをお取次なさったら、こういうお知らせも頂きなさった。あそこの御霊様が30名あまりお礼にここにみえたそうですよ」ち、もう驚いてしまって涙を流してからですね、はあー恐れ入りましたというてから、その(?)31名だったそうです、御霊様のずっと数を拾うてあったのが、(?)31名の御霊様の御霊様が慰霊祭があったと。もう本当に御霊様が受けて下さったとこれでも分かるというて喜んで帰られた。こういう事に触れますと、神様、御霊様を身近に感じなければまいりませんでしょ。ね、だからそういう意味でならば、椛目におかげを頂いておる人達ならばおかげを頂きよりますもんね。それを、そういうような事が自分自身の日常茶飯事の中にです、ね、神様の働きというものはもう本当に、本当に神様の働きの中にあるのだなあという実感がですね、だんだん強まってまいりますとです、おかげを頂いたらあなたのおかげであり、もし御気付けでも頂きましたら相すみません、私の信心が不行き届きでございましたと言う事になってくるです。そうなってまいりますとです、せっかく頂いたおかげがです、(?)それこそ(?)お商売をしておる人でも同じ事でしょうが、ね、いわば、あー、あちらの(?)親切であるならば。ね、(  ?  )ね、信用というのはそげん大事です。そんときだけは儲かる、そんときだけはおかげ頂いたではいかん。そん時だけ儲かってです、(  ?  )うちんとは儲かったちいうだけになる。(          ?      )それはおかげを頂くのはあちらの(?)さんじゃないですけれども、ね、あちらの、(?)けれども、さあー(?)そりゃそうでしょう、15万も高ことったっちゃ。それだけでひきつけたおかげを受けた、それで注文を受けたんではです、そん時ははあよかった儲かっただけで、あとは必ずばたっとおかげを落とすような事になる。私が見えた時には久保山先生があの人は本当に素朴なそれは( ? )素朴ですたいな。(   ?  )。まじめな風でそりゃ感じのよか、いいえ、久保山先生(  ?  )ね。やっぱりそうでした。ね、だから(  ?  )だけではいかんですたい。ね、もう一目惚れじゃいかん。(  ?  )ごたる気になっておった。(?)ところが久留米行くち。私は、はーそげん行かんでもよかじゃんのち私は言うたぐらいでした。もう夕方おそなりよりましたもんね。行くちいうけんいったという簡単な気持でいったら、( ? )だいたいこちらは、( ? )はあーこれは間違いありません、これは一切合切入っております、しかも二ヶ月間はこれでしてから、たとえ、(?)これはこうてからでんしときますけんで、私は(?)しますけんでとき(?)もう本当にです、負けても頂きません、けれど、今度頼むなら(?)納骨堂、(?)決まるに違いなかです。信心ちゃそげん大事なものなのです。ね、神様においても同じ事。ね、神様からそういうご信用を頂いてからのおかげでなければほんなものじゃない。いわば、神様にちやほやさせて頂いてから、( ? )どん持ってきたりしてから、(   ?   )。これはほんに間違いないです。(  ?  )おかげ頂くです。( ? )そのかわり、神様のおかげを頂くならば、(  ?  )なってくる。ほんなことです。これは間違いないです。だから、( ? )と言われるのが、( ? )なかですものねやっぱり。(  ?  )この人ばっかりはどこにお話いったっちゃ、お供えのことだけ。(  ?           )。先生方拍手喝采だったち、その話。本当ですよ。そして、(     ?     )それこそ、( ? )ってお話なさいましたけれども、(  ?  )神様を身近に頂かれて、ね、おかげを頂くのはあなたのおかげ、ということだけでいきよりなさるなら、間違いなし、繁昌でしょうけれどもね、あたしがお供え、あたしがおかげ頂いたというようなものがもしあるとするならば、必ず(  ? )おかげ落としますから。これで、おかげ落とさなければならんごとなっとります。(?)自分自身が神様のおかげを頂いて、ね、御神徳を頂いてから頂くほんなこつなおかげにはならんと私は思いますね、確信いたしますね。         
                           おかげを頂かねばなりません。